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歴史

御祭神

主祭神:伊弉諾大神 合祀祭神:天照皇大神・大己貴大神・素盞鳴大神・奇稲田姫大神

祓詞
祓詞

古事記によれば当社の御祭神伊弉諾大神様は、初めて結婚をされた神様といわれ、その後に日本の国土を創られたということから、縁結びや物事を良い方向に導く(いざなう)神様として崇敬されております。

また全国のすべての神社で奏上される「祓詞」にもあるように、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて禊祓をされた神様であり、そのようなことから“祓いの神様”として、厄祓や七五三等の人生節目のお祓いに訪れる方が多く見られます。

なお創建当時は日向灘に面した場所に祀られていたことから、航海の安全を守る神様として船会社からの信仰が篤く、境内に現存する一対の石燈籠は、元禄6年(1693年)に宮崎で最も古い豪商の一人である「日高屋」から奉納されたものであります。


由緒

創建

第12代景行天皇の勅により創建と伝える。

古くは今の大塚地区と下北方地区との間の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を小戸と称し、「筑紫の日向の橘の小戸」の地名そのままに太古伊弉諾大神が禊祓をされた“祓の神事”由縁の地であり、天照皇大神をはじめ諸貴神誕生の聖地神社である。

古くより大淀川河口の沖合「小戸の瀬」は小戸神社御鎮座の清浄地として祀られ

港口には黄金の眞砂 沖の小戸の瀬 宝浮く

と夏越祭の夏越歌に今なお脈々として歌い継がれている。


室町〜安土桃山〜江戸

旧称を「小戸大明神」と云い、文明5年(1473年)都於郡城主「伊東祐尭」が社殿を改築するなど神領30町を有し歴代藩主の崇敬篤く、また「小戸さま」として親しまれ広く御神徳が称えられたが、永禄・天正年間の相次ぐ戦乱により宝物・旧記等を失い、さらに寛文2年(1662年)の西海大地震のため上別府の大渡の上に移転奉遷、翌3年(1663年)上野邑(是より後、上野町と改称)に遷座する。

しかしこの後も

「日向なる小戸の渡りの浦こそは青人草の創めなりけれ」※青人草とは、人間という意味。

と詠まれる等、古社として崇拝をあつめ、享保3年(1718年)延岡藩主「牧野氏」より新たに社地を寄進される等、藩主の庇護を受け神殿・拝殿を修復、社殿を再興している。


明治〜大正〜昭和〜平成

現在の小戸神社

明治維新後「小戸神社」と改称。

昭和7年(1932年)橘通り拡張により、御由縁深き大淀川の辺りの現社地へ遷座し、昭和9年(1934年)5月27日竣工、本殿正遷座祭を斎行している。
平成26年(2014年)には、御遷座八十年を祝し、
御本殿・拝殿の御屋根銅板を葺き替え現在に至る。

実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は県内はもとより、国中に広く尊崇貴き古名社である。


昔と現在の小戸神社

写真と地図で見る昔と現在

小戸神社は現在の場所に遷る前は、上野町に祀られておりました。現在の橘通西2丁目付近で、小高い丘の上にあったとされています。今日でも7月25日・26日に近い土・日に行われる夏越祭の御神幸祭(神輿渡御)の際には、御旅所を上野町(バージニアビーチ広場付近)に設け、御神輿を一晩おとめします。

「元つ宮居の郷神庭に 今宵遊ばず芽出度さよ」小戸神社 夏越歌より

上野町時代の小戸神社
上野町時代の小戸神社
現在の橘通西2丁目周辺
現在の橘通西2丁目周辺

昭和5年頃の小戸神社周辺地図
昭和5年頃の小戸神社周辺地図